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腸腰筋膿瘍(ちょうようきんのうよう)になった:その2 熱が下がるまで。。 [ヘルス]

手術では、約50ccの膿しか取れなかったそうだ。 人によっては、牛乳瓶数本の膿が取れるそうで、先生もこれには出鼻をくじかれた模様。

麻酔から覚める際の言動には性格が出ると看護婦さんが言っていたらしい。
じっと我慢の人。
やたらと騒ぐ人。と大きく二つに分かれるとか。
前者でいたいのだが、私は後者だったようだ。。
聞くところによると。
「なんでこんな目にあったんだ!」とか「あ(い)たたたたた。。。 お前はもう死んでいる。(子供の時期に北斗の拳の読みすぎ)」とか言っていたらしい。 鼻に入った管は抜く。酸素マスクは脱ぐ。などやりたい放題。 看護婦さんの手を焼かせたとのこと。
 心電図のための電極・ 酸素マスク・ 血中酸素濃度を見るセンサ・ 尿をとるパイプ・ 手術あとからのドレーン・点滴2本(抗生剤と栄養剤)は少なくともつながっていた。 この後、これらが取り除かれるたびに回復を実感することになる。
 最後に食事をしたのは、入院する日のお昼。 点滴をするとお腹が空かないと聞いていたが、本当なんだとへんなことに関心。
 この夜は、家族が泊まってくれたが、酸素マスクを外し、濃度が下がるとアラーム鳴り、点滴の取替えが頻繁に行われる中見守ってくれた。
 翌日が大変だった。 夢か幻覚かその部屋から出られないような気になり暴れた。翌日聞くと手術後時々ある症状のようで、眠れる薬などで対処する模様。 白い壁に黄色い模様が見えるなど明らかにすこしおかしかった。 しかし、手術3日めに看護婦さんから「つづくようなら精神科の先生に相談しましょう」と言われ、なんとなくこれ以上あちこちおかしいといわれるのも嫌で、黙っていたら、1週間ほどで模様も消えた。 ICU症候群といういいかたもあるらしい。

 この後も、38度5分を超える熱が続いたが下熱剤で熱を下げることを繰り返しているうちに、徐々に熱の下がる時間が伸び、10日後に熱が出なくなった。 実に発症から20日が過ぎていた。
 熱が出なくなったときには、ほっとし、健康になれるという希望が少しわいた。

症状として覚えているのは、以下のとおり。
 発熱。 38度7分などの記録があり、毎日がが高熱の連続。
 黄疸。 体・目
 鼠径部の痛み。足を伸ばそうとすると激痛。(これは最後まで続く)
 体中の痛み。 高熱のため、体中に鈍痛あり。 看護師に「熱いのですか?痛いのですか?」と聞かれても「どっちも」としか応えようがない。 ハリーポッターに出てくるの「磔の呪い」というのはこんな感じかなぁ。と。
 高熱のあまり、正直記憶が無い。記録を見返すと、食事も採っているようだが栄養を点滴していたときには、少量にしてある食事も食べ切れなかった。

病院について感じたのは、完全看護と言っても、当然手は限られているため自分で要望を伝える必要がある。このため、家族が居てくれることは阿吽の呼吸で会話できるので特に苦しいときには助かった。 看護師さんでも頼れる人が区別できるようになったのもこの数日。 
つまり、急に入院しても病院の作法がわからないため、快適にするにはなかなか時間がかかるということ。
 運が良かったと思うのは、手術が土曜日だったこともあり、看護師さんが手薄になる土日が1週間無かったこと。 もし何かの機会で次回手術日が選べるなら、月曜日を選びたい。
17日手術
18日昼より食事開始。
   グレープフルーツジュース・オレンジジュースなどジュース類を欲しがる。
   水分制限
19日ごろよりドレーンに勢いよく膿が出始める。
24日抜糸(金具のようなもの?を取り除く。)
27日ごろ 尿をとるパイプを抜く。また一つ体につながっていたコードが抜けた。
      残るは、点滴とドレーン。
28日に熱が無くなる。
   発熱が無くなった日、このころ酸素・酸素濃度のセンサともお別れ。栄養点滴もとれた。
   車椅子にて移動。 トイレに行くも車椅子で不便極まりなくやっと動いている状況。
   手術の傷口は醜くはれ上がっている。

果物がおいしく、季節柄 りんご・柿を毎日食べる。 バナナダイエットを続けたせいか、バナナは見るのも嫌。
ヤクルトはおいしくいただけた。

その3へ http://rtanpopo.blog.so-net.ne.jp/2009-12-06-1


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