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歯の詰め物を入れ替えた。。 [ヘルス]

 近所の歯医者さんで、歯に詰め物をした。
 たぶん20年位前の詰め物が割れたのでつめなおし。 2回行って完了。3000円くらいだったかな。
 あと二十年持つなら次は入れ歯かも。。

 いい歯医者さんが近所にあったよかった。

食べる量を抑える工夫。 [ヘルス]

入院していた間の2ヶ月で6~7kg体重が減ったものの、最近はすこし太り始めている。
入院後、夕食のご飯が一膳で済むようになった。これは続いている。
ゆっくりと食べる。これは少し早めになっているようだ。
おかずをどんどん食べるようになり、自宅でのおかずはどうしてもカロリが高目なのが悩み。

そこで、入院中を思い出し一工夫。
おしんこ・きむち・昆布の佃煮 といった一品を冷蔵庫に準備して食事時に利用。
これで、おかずが少なめですみます。

入院中かんじていたのは、ご飯が多い。おかずが少ない。 というわけで、工夫していたのが佃煮・ふりかけ・梅干でした。 もちろん、おかずもいろいろ持ち込んでもらいました。こうして、種類が多いと全般的に味わって食べゆっくりになるという印象があったので今回自宅でも取り入れてみました。

お勧めの佃煮は以下ですが、7-11の佃煮も結構いけます。
http://www.2kuma2.com/2kuma2/7.1/N-30/

腸腰筋膿瘍その後 ちょっと走れてうれしかった。 [ヘルス]

突然の激痛が腰を襲って早3ヶ月。
引きずっていた足も、冬休み以後それほど目立たない。 痛みも減った。
今日、信号が赤になりかけて、早足 そして少し小走り。
ちょっと走れてうれしかった。

明日から3連休。 少し長い距離(といっても4,5km)を歩いてみよう。

退院から1ヶ月と2週間だ。

退院して生活の変化 [ヘルス]

退院して、しばらく経過してすでに痛みもわすれてきている。
それにしても、食事のスピードはゆっくりになったようだ。  ゆっくりと味わうのが癖になったようだ。これは、良い習慣として続けたい。

腹筋を毎日やるようになった。これは、すこし痩せないと。肝臓の負担を下げたい。糖尿病になりたくないというところから始まっている。 以前ダイエットに成功した経験があり、いつでも痩せられると高をくくっていたが、いま痩せないと何時痩せる? という気分だ。 とりあえず、リバウンドしないように生活し、もう少し生活が安定したら体重を落としたい。

家のことを以前よりは積極的にやるようにしている。 
体を動かすという目的もあるが、家族をもう少し大事にしたほうが良いなという思いが生まれてきたことも大きい。

腸腰筋膿瘍になった:病院サービスと入院生活・うれしいお見舞い [ヘルス]

病院をサービスと考えるのは若干の抵抗があるが、整形外科には元気な患者さんが多く居て、基本的には良くなって退院してゆく。 病院を転々として他の病院のサービスを語ってくれる人もいた。というわけで、私が居た病院について書いておきます。地域の中核病院(市に2つあるようでした。その一つです)
1)洗髪・床屋サービスがある。
  洗髪は、ベッドで寝ながらも洗髪してもらえる。これはとてもありがたかった。シャンプーリンスは持ち込み。週2日。メリットならかゆくなることも無い。
  床屋サービスもあった。 入院した時期は夜暑いくらいだったので10月末にきってもらった。

 驚いたのは、洗髪も看護師さんの仕事だということ。 確かに体に無理がある人の洗髪なので仕方ないが、看護婦さんの負担の大きさに驚く。

2)シャワー・風呂にも入れる。
 基本は、自分で入るのだが、人によっては看護婦さんの手助けもある。 補足すると、入院中は驚くほど垢が溜まる。推察すると、普段なら、皮膚が衣類などとこすれることで取れるはずの物が、動かないので溜まるのではなかろうか?というのも、足の裏の皮が経験したほどが無いほどに厚くなった。 これも歩かないのでどんどん溜まったと思われる。
 シャワーに入れない人は、体を拭くタオルが配布される。
 私がいた病院は、シャワー・タオルともに2回/週であった。

3)食事は冷たいものは冷たく暖かいものは暖かく
 正直なところ、食事は豊かではなかった。計算すると1日あたり700円程度になるのであたりまえ。家族からの差し入れでしのいだ。 それよりも、Pnasonicの食事カートがすばらしく、ひとつのトレイの上に暖かいものと冷たい食事とを提供できる。 これにはおどろいた。
 配膳も看護婦さんの仕事。

4)新聞も配達してくれるし、物も買ってきてくれる。
 予約をすれば、朝刊の配達もしてくれるそうだ。 動けなくても、お金を渡してお願いすれば、売店で売っているものは買ってきてくれる。 そういう人が配置されていた。(看護師ではない)

5)冷蔵庫が使える
 共用の冷蔵庫があり、自由に使える。 ちょっと小さかったかな。
 ここに、差し入れのリンゴや柿を入れておいて、食べたこともある。

6)クリーニングサービスも提供
 クリーニングサービスも提供されている。 パンツで100円未満らしい。(使ってないので価格は不明)
 パジャマはレンタルされる(100円/日未満)ので十分良心的。

 これらのサービスにより、身寄りが無くても安心して入院できるようになっている。 お金は必要だが、お金も含めあらゆる不安の相談に乗ってくれるカウンセラも居た。 これは、とても心強いだろう。
40年以上前に入院したのとはまったく違う、新しい環境がここにはあったのだが、それだけに医療にかかるコストは際限が無いことを改めて感じた。
 一方で、医師・看護師の仕事は非常にハードで尊敬できる仕事だと改めて感じ、それなりの処遇はすべき業務だというのも正直な感想だ。 それにしても、夜は手薄。 土日夜勤はさらに手薄。 土日夜勤の看護婦さんはきっと仮眠をとる時間もないだろう。中堅の看護婦さん・医師は、夜勤が終わってもお昼くらいまでいることは珍しくなかった。

 自分で整える部分の生活のまとめ。
1)ふりかけはいまひとつ佃煮はウエルカム
  病院食は、ご飯の量が少し多めであった。 というわけでふりかけなどを使ったのだが、毎日使っているとふりかけは飽きが来る。 梅干・佃煮・ゆかり(紫蘇ふりかけ) といったあたりが無難。 特に梅干は最近の蜂蜜入りのものから伝統的なものまでおいしかった。

2)果物はジュースでなく生で
  りんごと柿は良く食べた。 手術直後はジュースがほしかったが、徐々に生の果物が良くなった。 季節柄りんご・柿。時々みかん。というところを中心に間食として食べていた。

3)コーヒー紅茶は飲まなかった
 特にsaveしていたわけではないが、欲しくなかった。 病院で出るのは ほうじ茶。 自分で買うのもなんとなく麦茶になっていた。 現在も、以前よりは少な目になっている。

4)特においしかった差し入れ
  焼き魚 特に鮭はおいしかった。 3枚くらい差し入れてもらい2日間くらいで食べていた。
  鳥レバーの煮たもの。 これも少量を2日くらいで食べた。(オリジン弁当の惣菜だった時もあったらしい)
  上記の2つは何度も差し入れてもらった。鯖の焼いたものやおからなどもgood。
  7to11のおでんも2度ほど。 1度目はおいしかった。

5)特にうれしかった差し入れ・お見舞い
  高熱が出ていた間の雑誌。(最新刊は買えるのだけれども、そうでないものは購入できないので)
  8インチほどのdvdモニタ付プレイヤ。 今なら郵便で新しいDVDが届くのでなお便利なのではなかろうか?
 ※今なら、タブレット でどちらもできちゃうのかな。
 今ならDSも嬉しいかな。

この病気は、対処できれば入院後は(一進一退ではなく)時間はかかるもののよくなってゆく病気のようです。手術も、内臓に手を付けるわけではないため、熱がさがれば何でも食べられます。 このため、食べ物のことばかりになってしまいました。

その1へ http://rtanpopo.blog.so-net.ne.jp/2009-11-30


腸腰筋膿瘍(ちょうようきんのうよう)になった:その3 退院まで [ヘルス]

10月29日 4人部屋に移る。危険な状態は過ぎたということだろう。 夜、ラジオ、テレビが使えなくなるのは残念。
   30日頃 醜く晴れ上がった傷口を少し裂き、込めガーゼ?を入れる。10センチほども入るらしい。創(創傷のこと)を押すと膿が飛び出すほどだが、腫れは減ってきたらしい。
   同時に、1日4回だった点滴が1日二回となった。 4回は、5時、11時、17時、23時。だったが、2回は、朝食後9時前と夕食後19時ごろ。
11月4日 リハビリ開始。 仰向けになった状態で足が床と40度の角度を作るまでしか伸びない。 これを少しずつ伸ばしてゆくのだが、これ以上は激痛のため伸びない。
11月6日 MRIをとるが、足が曲がらず、穴の中に入らない。無理やり伸ばし、泣き言を言いつつ撮影。気を失いそうになりつつ終了。 撮影の先生はやせてたときの江夏に似ていると思っていた。 リハビリで松葉杖をもらう。 トレーニングで松葉杖。普段は車椅子の生活。      
11月9日 ドレーンが外れる。 6日のMRIの結果鼠径部 には膿がのこっているとのこと。また、腰の炎症痕が大きい。 リハビリは、20度まで足が伸びる。これは、土日に結構無理して伸ばした効果。
11月12日 抗生剤の点滴が外れる! つながっていたコードがすべて外れた。左右の腕に点滴の注射痕が残る。今後は、抗生剤を服用。 CRP1.13 リハビリでは、うつぶせ開始。これが痛い。せいぜい15秒程度のうつ伏せしかできない。
11月16日 リハビリ15度程度 松葉杖なしで歩行練習。 この週はどんどんよくなっていた印象だ。
18日 足を伸ばして眠れた気がする。 先生から退院をほのめかされる。
19日 職場からお見舞いに来てくれる。4名。 すっかり装いが冬になっているのの驚く。 お見舞いにきてくれたほうは、私が立って歩いているのに驚いたようだ。 しかし、かかとをつけて歩くとかなり腰が痛い。。また膝に負担が大きい。
20日 28日退院の線でお願いする。 後にわかったことだが、高額医療費の関係で月末は退院希望が多い模様。27日から30日の間に入院中に知り合ったメンバも続々退院。
22日、23日に一時帰宅。カキフライ、ハンバーグを食べる。しかし 22日深夜に子供がインフルエンザを発症。39度の高熱で、23日はまったくゆっくりできず。門限を超えて2030ごろ病院着。
24日リハビリ。ほぼ0度まで伸びる。
25日創の込めガーゼ痕の絆創膏もはがれ風呂に漬かれた。 気持ちいい!
28日朝から風呂など使わせてもらい11時退院。 最初に食べた物は。。。 鮨でした。

まとめへ http://rtanpopo.blog.so-net.ne.jp/2009-12-07


腸腰筋膿瘍(ちょうようきんのうよう)になった:その2 熱が下がるまで。。 [ヘルス]

手術では、約50ccの膿しか取れなかったそうだ。 人によっては、牛乳瓶数本の膿が取れるそうで、先生もこれには出鼻をくじかれた模様。

麻酔から覚める際の言動には性格が出ると看護婦さんが言っていたらしい。
じっと我慢の人。
やたらと騒ぐ人。と大きく二つに分かれるとか。
前者でいたいのだが、私は後者だったようだ。。
聞くところによると。
「なんでこんな目にあったんだ!」とか「あ(い)たたたたた。。。 お前はもう死んでいる。(子供の時期に北斗の拳の読みすぎ)」とか言っていたらしい。 鼻に入った管は抜く。酸素マスクは脱ぐ。などやりたい放題。 看護婦さんの手を焼かせたとのこと。
 心電図のための電極・ 酸素マスク・ 血中酸素濃度を見るセンサ・ 尿をとるパイプ・ 手術あとからのドレーン・点滴2本(抗生剤と栄養剤)は少なくともつながっていた。 この後、これらが取り除かれるたびに回復を実感することになる。
 最後に食事をしたのは、入院する日のお昼。 点滴をするとお腹が空かないと聞いていたが、本当なんだとへんなことに関心。
 この夜は、家族が泊まってくれたが、酸素マスクを外し、濃度が下がるとアラーム鳴り、点滴の取替えが頻繁に行われる中見守ってくれた。
 翌日が大変だった。 夢か幻覚かその部屋から出られないような気になり暴れた。翌日聞くと手術後時々ある症状のようで、眠れる薬などで対処する模様。 白い壁に黄色い模様が見えるなど明らかにすこしおかしかった。 しかし、手術3日めに看護婦さんから「つづくようなら精神科の先生に相談しましょう」と言われ、なんとなくこれ以上あちこちおかしいといわれるのも嫌で、黙っていたら、1週間ほどで模様も消えた。 ICU症候群といういいかたもあるらしい。

 この後も、38度5分を超える熱が続いたが下熱剤で熱を下げることを繰り返しているうちに、徐々に熱の下がる時間が伸び、10日後に熱が出なくなった。 実に発症から20日が過ぎていた。
 熱が出なくなったときには、ほっとし、健康になれるという希望が少しわいた。

症状として覚えているのは、以下のとおり。
 発熱。 38度7分などの記録があり、毎日がが高熱の連続。
 黄疸。 体・目
 鼠径部の痛み。足を伸ばそうとすると激痛。(これは最後まで続く)
 体中の痛み。 高熱のため、体中に鈍痛あり。 看護師に「熱いのですか?痛いのですか?」と聞かれても「どっちも」としか応えようがない。 ハリーポッターに出てくるの「磔の呪い」というのはこんな感じかなぁ。と。
 高熱のあまり、正直記憶が無い。記録を見返すと、食事も採っているようだが栄養を点滴していたときには、少量にしてある食事も食べ切れなかった。

病院について感じたのは、完全看護と言っても、当然手は限られているため自分で要望を伝える必要がある。このため、家族が居てくれることは阿吽の呼吸で会話できるので特に苦しいときには助かった。 看護師さんでも頼れる人が区別できるようになったのもこの数日。 
つまり、急に入院しても病院の作法がわからないため、快適にするにはなかなか時間がかかるということ。
 運が良かったと思うのは、手術が土曜日だったこともあり、看護師さんが手薄になる土日が1週間無かったこと。 もし何かの機会で次回手術日が選べるなら、月曜日を選びたい。
17日手術
18日昼より食事開始。
   グレープフルーツジュース・オレンジジュースなどジュース類を欲しがる。
   水分制限
19日ごろよりドレーンに勢いよく膿が出始める。
24日抜糸(金具のようなもの?を取り除く。)
27日ごろ 尿をとるパイプを抜く。また一つ体につながっていたコードが抜けた。
      残るは、点滴とドレーン。
28日に熱が無くなる。
   発熱が無くなった日、このころ酸素・酸素濃度のセンサともお別れ。栄養点滴もとれた。
   車椅子にて移動。 トイレに行くも車椅子で不便極まりなくやっと動いている状況。
   手術の傷口は醜くはれ上がっている。

果物がおいしく、季節柄 りんご・柿を毎日食べる。 バナナダイエットを続けたせいか、バナナは見るのも嫌。
ヤクルトはおいしくいただけた。

その3へ http://rtanpopo.blog.so-net.ne.jp/2009-12-06-1


腸腰筋膿瘍になった:その1 手術まで。 [ヘルス]

症状・診断・費用についてまとめました。
http://rtanpopo.blog.so-net.ne.jp/2014-10-23
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本日2009年11月30日 激痛を伴う10月10日の発症から、ほぼ50日。1週間ほどもかかった診断・入院・手術を経て約40日の入院から本日退院してきました。 まだ足も引きずっており、しばらくは自宅療養です。 この病気は、手遅れになることもあるらしいので、お役に立てばと考えて記録しておきます。
 昨今は 子供を育てていてもあまり「膿(うみ)」を見ることが無いですが、私の子供のころは擦過傷や、巻き爪で黄色い膿ならよく見かけていましたから、ある程度年配の方はイメージはわきやすいと思います。あの膿が大量にたまって、バイ菌が体がバイ菌を排除する力に勝ってしまったということのようです。 ただ、おなかにたまっているというのは、素人には想像できないですね。
では、私の場合を振り返ってみます。

10月10日(金)の早朝3時ごろだろうか。トイレに向かおうとして、腰を激痛が走った。

9日の夜は幕張で痛飲。まだお酒が残っていたっと思う。
症状は、腰が伸びず、歩けない。3メートル歩くのも壁伝いで10分くらいかかる始末。 これが50日に及ぶ闘病生活の始まりでした。

10月10日(土) 近所のクリニックKへ。 レントゲンをとる。 発熱7度を少し超える程度。
       坐骨神経痛と診断。 シップとコルセットをもらって帰る。歩く速度は分速10mくらいだったか。。
10月12日(月)体育の日で休み。
10月13日(火) 治らないので会社休み。別の病院BでMRI撮影。 発熱7度4分と伝えたが無視。坐骨神経痛と診断。
10月15日(木) 相変わらず治らないので、家内に引きずられるように午前の受付終了に間に合うように13日の病院Bを再訪。あまりに痛いので正直なところ寝ていたかった。 先生は日替わりなので別の医師。発熱を重視。再度MRI。血液検査実施。 待ってる間も、空いている処置室で横になっていた。ほとんど寝ていた。(気絶していたというのが正しいかも。痛みに疲れて寝るといった感じ。)CRP値44! 入院手続きを進めたが、CRP値から手術の可能性があり、手術対応の可能な地域医療センターCへ救急車にて転送。 午前に出かけたのに、救急車が到着した時は真っ暗だった。 Cのお医者さんによると、Bの先生の判断はかなり的確だったと感心しきり。となりで私はうなっている。。 この病院ではCRPは25までしか計れないとのこと。(ネットでも20程度までの記述しかない) 全身管理をしながら、まずは抗生剤投与の方針で行く。
※救急車が着いたところは、扉一枚を隔ててベッドが3台以上並んでいる手術室(処置室?)でした。便利にできているなぁと思った記憶があります。 昔の家で言えば土間みたいな作りですね。
10月16日(金) 変化無し? 4人部屋に入院していたらしい。(記憶無し)
10月17日(土) 変化無し。 このため緊急手術。(土曜日なので緊急?予定外だから緊急?体が危ないから緊急?の別は不明。) 抗生剤の効果が見られなかったのが最大の要因。 このころ、鼠径部では脈が取れなかったらしい。 それにしても、発症からすでに1週間。よく我慢していたと 感心する。 それでも15日に入院といわれたときには、実感がわかず、病院Cで前に来た人は3ヶ月かかったといわれたときにはそれでも自分は1週間で退院できると思っていたし、手術が決まったあとも盲腸よりも少し厳しいめに考えて2,3週間で退院できると思っていた。

※症状について補足しておきます。 ものすごく痛いです。体の芯から痛く黙って座っていることもできず、脂汗が出るとはこういう痛みか。とういうところ。横になるしか無い状態。早く眠って、起きたら治っていることを期待するような。あまりの痛みに気分まで悪くなるようなそんな痛みです。 熱は低いのですが、子供のころ38度から9度の熱を出して吐き気を催していた時の気分を思い出しました。 このため、16日ごろ4人部屋にいたのも朦朧としていてほとんど記憶がありません。 入院するまでの毎日、ずっと寝ていたわけですが、周りから見ると悪化しているのが分かったそうです。ただ、本人はあまりの痛みで悪化していることさえ判らないほどです。

 そんな気持ちの中、手術をすることになった。  麻酔医さんからは麻酔の説明。 「この全身麻酔はマイケルジャクソンの死亡のきっかけとなったものと同じで、注意深くやる必要があり・・・」 同意書にサインしないという選択肢があるわけもなく手術室であっという間に眠りに落ちた。
 テレビで手術室で音楽を流すシーンがありますが、本当に流してました。 環境音楽のようなものだったようです。 

その2へ http://rtanpopo.blog.so-net.ne.jp/2009-12-02



退院後の一杯!(病人もビールを飲みたい) [ヘルス]

退院後、何が楽しみかと言ってやはり食べ物。
そば・ラーメン・寿司。。。
ってやはりビールで一杯。 先生からも、まあ飲み過ぎないように。アルコールは炎症を助長することがある。といわれている。
そこでこれ。 ノンアルコールビール。
以前kirinの商品が甘すぎて興味を失っていたが、これはそこそこ良かった。
しばらくビールを飲んでいないためかもしれないが。。。 お勧めです。 先生もこういうものを勧めるのも手かも。




退院した。病院に45日間住んでみて。。 [ヘルス]

気がつけば45日間も入院していた。
その前に1週間診断に時間がかかり、50日以上の長い休みでした。
闘病ということばもありますが、
前半は、あまりの痛みに気持ちも折れてなすがまま。記憶も怪しいのが20日。
中盤は、治りそうだとおもってなんとか身の回りのことをやり始めるのが2週間。
後半は、後遺症が残らないように全力でリハビリ。これも2週間。
今も足を引きずっていますがある程度歩けるようになっています。
現在は、鼠径部の展開に問題があることが問題。 crpも44->0.58まで下がりok
不安はセフゾン(抗生剤)をある程度長期に飲みそうなこと。 骨に菌が付いている可能性があること。
次回の通院までで、24日間飲むことになりその後も続きそう。ネットで調べると「長期に飲むものではないとあるので、次回先生と相談予定。)

初めての長期入院で思ったこと。。。
 たぶん、お医者さん・看護婦さん・リハビリの方々・設備。どの点もかなり恵まれていたように思います。なのであまり参考にならないかもしれませんが、自分のメモとして。。。

 高額療養費はありがたい。 入院手続きをする窓口で、高額療養費の申請をするように言われた(そうだ)。
確かに初回で80万円(10割負担時)の3割なんて払えるわけも無い。ただ、制度上のデメリットも。。制度が月締めのため、月末まで居ようというご老人などが居たりする。制度上、月初に入院し月末に退院するのが効率的。これはいかがなものか? 30日間とかで〆た方が効率が良くならないか。 いやそうすると、国の負担が増えるのか。。 ただ、月末まで居ようという人は減るような気がする。

 整形外科は明るい。 交通事故患者などでいっぱいかと思いきや、人工関節を入れたり脊椎の手術の人が多く、手術から退院まで目処がたっている人が多く。食事制限も少ない。このため、比較的明るい病棟のようです。関節の骨折(複雑骨折?)で金属を入れて、1年経過後金具を取り出しの手術を受けに来ている人など、患者さん同士が1年ぶりに再会して会話が弾む。何てことも珍しくない模様。
 その中で、私のような感染症でどうなるかわからない患者というのは、比較的珍しい患者だったようだ。

看護婦さんは良く働く。。 3交代で働いていたけれども、さらにちょっとずらした出勤形態もあったようだ。 本当に皆さんよく動き、スニーカで小走りが基本。 看護学校を出てすぐの人でも1人前に働く。どっかの1年生議員とは大違い。 昼間働いて、夜勤(深夜->朝)なんてのもあり大丈夫?といいたくなる勤務もある。 有給休暇どころか、土日・祭日の休みがちゃんと取れないそうだ。 まったく頭が下がる。 大変お世話になりました。
ただ、人数で割るとお医者さんの方がさらに夜勤率は高くなる。たぶん夜勤は一人だろうから、もっと大変。どちらの切り口でも、ぎりぎりで回しているというのが印象です。
そんな理由からから、入院中に医療従事者の給料を上げたいという発言が、政府でありました。

 看護婦さんと上下関係にあるのかと思っていたお医者さん。(上司・部下という感じ)ぜんぜん違う職種でした。 お医者さんはSE、SIer 看護婦さんは監視保守という印象を持ちました。
お医者さんの足元がいまひとつ。ほとんどの方がサンダルで、crocsとかはいています。靴じゃないのは何か理由があるのだと思いますが、締まらない。 お医者さん向にかっこいい靴があると売れるんじゃないかな?

メディカルカウンセラーはありがたい。 急な入院に際して何でも相談に乗ってくれるカウンセラー。ちょうど、NHKでも彼らにスポットを当てた番組をやっていたが 入院費の問題、家庭の問題など。 国・県・市の制度に精通し、解決してくれるようだ。 周りに、相談している人が居たが、本当に親身になってやってくれていた。あまり、なじみのない職種だが、たとえば周りに頼れる人が居ない場合など絶対に相談したほうが良いように思った。

リハビリは痛い。本当に痛い。 テレビでリハビリの光景を見ていても「大変だな」とは思っていたが痛さは伝わらない。 今回4週間で足を伸ばしたが、本当に痛かった。 毎日小一時間。付き合ってくれた理学療法士の方。ありがとうございました。 彼のマッサージなくしてはここまで回復しなかったと思います。

明日から、もう少し詳細にメモを残していこうと思う。